かまぼこが初めて歴史に登場したのは、「類聚雑要抄(るいじゅぞうようしょう)」の一節、関白右大臣藤原忠実が催した祝宴のご馳走の挿絵の中に、なますや鯛の平焼きなどにまじって、現在のちくわのような形のかまぼこが描かれています。
これが蒲の甫にそっくりだったところから、「ガマノホ」が転じて「カマボコ」となったといわれています。
現在のような板付のかまぼこが登場したのは、平安時代末期から室町時代。この頃には、塩で練った魚肉を杉の板につけて焼いたものをかまぼこと呼び、それまでかまぼこと呼ばれていたものが、切り口が竹の輪に似ている所から「竹輪」と呼ばれるようになりました。
現在では身近なお惣菜のかまぼこですが、室町時代では武人の膳で縁起物として用いられる貴重なものでした。ようやく庶民の食卓にのぼるようになるのは、江戸時代に入ってからのこと。しかし当時も、晴れの食卓を彩る高価なものでした。
明治時代に入ると、全国各地で特色のあるかまぼこが作られるようになり、大正・昭和前期になって、ようやく一般大衆のお惣菜として市民権を得たのです。
はんぺんはその昔、「半片」「半平」と記されました。(この地域では「はんぺい(はんぺん)」と呼ばれています。)室町時代末期の料理書「運歩色葉集」(1548年)や「今古調味集」(1580年)には「半片」「半弁」「鱧餅」などの漢字が当てられています。
その作り方は、魚のすり身に山芋を入れて作ると言う記録があり、「半片」「半弁」「鱧餅」は現代のはんぺんに近いものだったと考えられます。このころ“しんじょ”も食されていたようで、ともにさらに豆腐や卵白、くず粉などを入れている例もあり、はんぺんもしんじょも似たようなものだったと思われます。
かまぼこ業界では、永久3年(1115年)に歴史上初めて蒲鉾が登場したという事で、11月15日を「かまぼこの日」としています。また、11月15日は七五三です。昔から子供の健やかな成長を祈ってお祝い料理が出されました。そのお膳には縁起の良い紅白かまぼこを準備した事からも11月15日は「かまぼこの日」と制定しています。